昭和50年08月15日 前夜祭



 願いの祭りというのは九州だけのお祭りです。元々小倉の初代が御本部の御造営を発願されて、如何に願いを持っておりましても、飛ぶ鳥も翼がなければ飛べません。おかげが頂きたい、御用が頂きたいと申しましても、あるものがありいわゆる恩恵と条件とが足ろわなければ出来んのでございますから、どうぞ九州中にまたは各お広前教会に、特別のゴヒレイを拘らして下さい。そういう熱願の元に祈願祭をなさいました。
 その祈願大祭が今日の夏の祈願祭になっておるので御座いますけれども。最近では祈願祭と云う事が、非常に影が薄う成って来ておると言う感じであります。どちらのお広前にお引き寄せを頂きましても、祈願祭はあわせて、夏の祈願祭と言う様な事になっておる。本部の教団設立の記念の式が御座います。その記念式にあわせて各教会で、それが矢張り同じ記念式をなさる。
 その記念式にあわせて祈願祭をさせて貰うと言う様な、言うなら付けたり的な祈願祭になってきておる。私はあの私の考え方が、合うておるかどうか知りませんけれども、お祝詞にも、その事をだから私は謳っておりません。どこまでも矢張り祈願祭でなからなければならない。しかもその祈願というても、おざなりな祈願祭であってはならない。いわゆる桂大人がね。もう止むにやまれぬ一つの熱意、どうでもこれだけは神様聞いて頂かなければ出来んと云う様な意気込みをもってこの暑い最中に。
 祈願の大祭をお仕えになられたのですから。そのご精神に基づいてのお祭りでなからなければならないと、私は思うております。そこで祈願祭の事だけが、なされば良いというのではなくて、例えばここでは七月の一日から、三十一日間を期しまして、夏期信行期間と致します。一時の暑い最中にもう、それこそ惟は合楽の方達にしては本当に珍しいけれども、まぁ私は皆さんがその発願をするというか、その気になれば出来るなぁと思いますけれども、もうそれこそあの一時の御祈念にここもういっぱい。
 しかも一時の御祈念には、もうすでにあの何百かの人が、全部お届けを終わっておると言う様なです。まぁ合楽では珍しいその、夏期信行が続けられる。三十一日間それがまぁ続行された訳で御座いますが、あぁ言う一つの熱意と言った様なもの。ああ言う云うならば、信心を土台にしての祈願である。そういう私は祈願。そこで明日だけがお願いをすれば良いというのではなくて、明日どう云う様な心組みを持って。
 どういう勢いでどう云う様な筋道立た、惟なら神様が聞いて下さらん筈はないと云う様な祈念を凝らさせて頂かなければならない。成程言葉には成程私の方は立教の祈念の式、合せてじゃなくてもう純粋な祈願祭だと言うておっても、その内容がこういう思い、こういう心で祈願をさせて頂いておりますという印が、何処の端にか見えなければならない。まぁそういう風に思います。
 今晩只今霊神様に御挨拶を申し上げます時に、最近では皆さんもその通りでしょうけれども、御霊様にお願いと云う事を致しません。今までは知らぬ事とは言いながら、御霊様に、それこそ祈願を。明日は大祭で御座いますから。初代の先生方の御神徳に預からせて下さい。どうぞお働き下さいと云う様な願いを持ちましたけれども、神様からお知らせを頂いて、それは丁度死人を舞台に引っ張り出して。
 さぁ踊れと言うのと同じだと仰った。成程魂は生き々としてあの世に持っていかれ、この世にも残るというのが神徳だと仰るのですから。初代の先生方いわゆる九州に、その道の元を取られたお徳を受けられた、高徳の先生方の場合は、もうあの世にもこの世にも御神徳を、いわば残しておいでられる。だからあの世での言わば御神徳によって、いわゆる神ながらというか、御霊ながらのおかげをこうむっておられる事だけは事実であります。ただ私共がここで御霊様へ、まぁ祈念を凝らすと言うならばです。
 言うならば先生、あなた方のおかげで今日の合楽の信心が御座います。又は私の信心がございます。良い信心の手本を残しておって下されて、又は良い御神徳を残されておって下されて有難う御座いますという、言わば祈り以外に無いのです。私はこう言う事が、段々合楽で言われる様になりましてからの、御霊様に対する所の祈り、願いというものは今までよりも、もっともっと敬謙になった思いが致します。お礼を申し上げるご先祖の御霊様にお礼を申し上げる以外には無いのです。
 御霊が助かってなかったら、言わば私共の祈り喜びをもって、力をこちらから送ってあげる以外はないです。お徳を十分に持っておい出ておられる御霊ながらの働きが出来ておられる御霊様には、愈々もっておかげを頂きまして、有難うございますという、心からなるお礼を捧げる以外には無いのです。そこに根が生き々として来る。だからおかげを受けると云う事は言えます。
 目に見えない根の世界が、生き々として来るので御座いますから。私はもう二十数年も前に大変お徳を受けられたという方を、本部で会った事が御座います。本部の久保田神具店の二階に、もうそれこそ生神の徳を受けられたという程しの先生が見えておると言うので。私と秋永先生、それから正義先生、あと一人二人おりました。四五人でもうそれこそもう神徳が受けたい。
 おかげを受けたいという時ですから、その話を聞きましてそれから参りました。それで先生のお話を聞かせて頂いたんですけれども、その時にこう言う事を言われました。九州と云う所は、中々御道の信心が盛んなとこですねと。ですけれども大変高徳な先生方も拝察されたんですけれども、その信心が後に残らないという嫌いがありますねと言われた。言われてみたら一言もないです。それこそ小倉であり、福岡であり久留米であり最近では、ほんなら甘木辺りでもそうであります。
 初代が亡くなられてもう、それこそ飛ぶ鳥を落とすほどしの勢いが。もうそれこそかくかくとして、津々浦々に輝いたんです。それが確かに先代が亡くなられると同時にです。果たして、神徳というものが残しておれるもんだろうかと、疑わねばおられないほどの事になってきつつあるという事実をです。もうこら二十数年前で御座いますけども、それを聞かせて頂いて私も成程、どう言う所にその原因があるだろうかともう、永い間私のこれは、心の中にある事でございます。
 そして御神徳が残ると云う事は、なら例えば合楽辺りが、今日此の様におかげを頂いておると云う事は、矢張り初代先覚辺りの信心の徳というものが残っておる。それを残っておるというても、こうやって露出しておる訳ではない。ただそれを貰いに行くだけで良いというのではない。それはちょうど残っておる者は、氷山の一角であってその初代先覚辺りがです。残されたものはいわゆるこの、隠れておる所のものが偉大なのです。そこでです、私共はねそれを掘り出さなければならないと言う事になります。
 掘り出す事によって、なんぼでもお徳を掘り出す事が出来る。それで初代の先生方のお徳を、この様に今は合楽では、それを掘り出しておると云う事に過ぎない。その掘り出すところの修行をいとうてはならない。掘り出すところの手間を省いてはならないと、私は思うております。その先生が言われました様に、九州にはそう言う様な。大徳の先生方が居られたのだけれども、子になり孫になるにしたがって、ヒレイが落ちて行くというのは、どういう訳かと。私に言われたってどう言うわけか分からん。
 言われてみれば、成程だと云う事になるのです。私はその事をふっと今日は、霊神様の前で思った。御理解に「神のおかげを知らぬから、互い違いになる」と仰る。神の大恩を知れば。年勝り代勝りのおかげが受けられると仰せられる。神の大恩を知れば年勝り代勝りのおかげが受けられる、しかもおかげをおかげとさせる、分からせて頂く所からです。いうなら限りないおかげが頂かれるわけで御座います。それを私は今日今晩只今。ほんと五分か十分間の御祈念の間に、その事を頂いた様な気が致します。
 神の大恩を知っていうならば、おかげを受けられたけれども、先覚の先生方の場合はね、それこそ祈りと言うたら祈る力は、それはもう大変な、祈りの力を皆さんが持っておられた様に思う。祈ること拝むことだけで、たちどころに病人が助かると云う様な。熱烈な、いわゆる御祈念力を持っておられた先生方は多かった。天地の大恩を分からせて貰うて、今まで、天の恩を知ったけれども、地の恩を聞いた事がなかったと。
 それこそ驚愕するばかりに、驚くばかりに、その大地の御恩徳に執心するように、大地の御恩徳を説かれて、おかげを受けられた先生方、御徳を受けられた先生方もあるけれども。神のおかげをおかげと知って、本当にいられなかったところに、代勝り言うならば互い違いになって来ておると云う事が言えると思うので御座います。私は今日、改めてその事を、一つ皆さんにも分かって頂きたいと思うのですね。
 いわゆるおかげが互い違いになっておる。まぁ失礼ですけれども、ほんなら久留米の初代といや、それこそ当時生神様の様に言われる程しの御神徳を受けられた。それが例えば現在の久留米の教会のゴヒレイがです。御神徳というものは残っておらんのだろうかと思う位なのだけれども。私は掘り出そうとする精進が足りんのだと思うです。掘り起こそうとしないから言うならば、御徳は眠っておる。
 それを私共の様にその端の端々の教会でも、その事に気付かせて頂いて。それを掘り起こそう、掘り出そうとする精進するところから、今日の合楽があり勿論、惟はもっともっと。掘った上にも掘り。開いた上にも開いていかなければならんと思うのです。もう吉木先生、三代の吉木先生がおられる時分から、あちらには立派な先生が居られます。もうお年も五十くらいでしょうから、一番いうなら良いところ。にもかかわらず教会長が久留米に居られないのです。
 吉木先生三代の先生が兼務教会長をなさっておられる。亡くなられたから今度は、三井教会の、ここの親であるところの、荒巻久人先生が、その兼務教会長までなさっておられる。もう今度こそはあちらに教会長が出来られるだろうと、私共は期待しておりましたけれどもやっぱり、今度は福岡の元の若先生、今は親先生ですね亡くなられましたから。その今の吉木先生がまた、久留米の兼務教会長。沢山な出社教会もあり、力もある教会が沢山あるのにもかかわらず。
 どうしてどう云う訳に、その様に互い違いになって来るかと云う事を思えば分かるでしょうが。神のおかげを知らぬから、互い違いになって来るのです。お願いをしたおかげを頂いたというおかげは知ってます。そらも神様の言うなら黎明不可思議なおかげを、みな体験して、その御神徳に恐れ入ってというおかげは知っておりますけれども。本当のおかげというものを知らない。まぁ知らない訳じゃなかろうけれども、それをまぁ知られなかったも同然になされてあったという事が。
 九州のいうならば信心が長続きせんと言われる原因が、そこにあったと私は思うです。合楽の場合は、ひとつそこを、どうでも分からせて頂いて、言うならば初代先覚の、そうした一つの汚名をすすがなければならないと言う位な熱願を持ってです。私は金光教の信心を頂きたいと思うております。おかげをおかげと知らぬから、互い違いになると言うのですから。
 そのおかげというのは、自分の意のままにならぬ、思う様にならぬ。自分の前にどうしてこういう難儀が、何時も阻むのであろうか。障害があるのであろうかと言う様な考え方を一掃する事です。おかげをおかげと知ると云う事は、いうならば、ここで何時も言われるところの、神愛を神愛として悟らせて頂く事です。だからそれもおかげなんです。これもおかげなんですと。私はすっきりと唯分かるだけではなくて、それがそれと頂けれると言う所に、心の助かりが実はあるのです。
 お願いをすりゃ聞いて下さる。お願いをすりゃお願い通りになるという、そこにも安心がありましょうけれども。もう願うのじゃない。その事自体もおかげなんだと云う事です。その私は言うならば、現れておるおかげをおかげと思うて、隠れておる所のおかげをおかげではない。難儀と見ておる所に、互い違いにいわゆる教祖が、はっきり御理解に仰っておられます。互い違いおかげを知らぬから、互い違いになると仰せられるのですから。その一つおかげを唯聞いただけじゃ分からん。
 矢張りそれを本当に体験させて貰うて。そう云う事のおかげで、今日のおかげがある。今日私朝の食事の時に、丁度テレビで今日は終戦三十年ですか、八月十五日の様々なあっちこっちの催しが、ニュースで見せて貰ました。今日はですからどこも官庁辺りではあの、半旗を掲げておる。丁度人が亡くなった時なんかは、半旗を旗を上まで上げない。お悔やみの印をそこに現すと言うのです。所謂半旗なのです。私はそれを聞きながら、何か不思議な気がしたんです。
 そげなだんじゃなかこっちは、終戦になったおかげで、今日の日本がある私共があるのだから。本当言うたらそのそれをね、まぁ風雅を合わせてから、お祝いちワァワ負けたつが有難かったちごたる言い方はせんでも良いけれども、わざわざ半旗までも揚げんでも良かろうのにと私は思うた。皆さんどうでしょうか。そして次々といわゆる戦争のすさまじさ。戦争のいうなら、あと傷跡爪跡と言った様な物を、いくつかの今にまぁだ残っておられる方達。もう身体が殆ど半分になるほどしになって。
 まだ今日生きておられるという方やら。もう本当に、家族中がやられて、一家その後に死を決ししたとかという方達がです。それこそ聞くも涙語るも涙という場面を見せて頂ました。聞く者も涙声で聞いておる。語る者も三十年前の事を思い起こさせて頂いて、涙ながらに、その時分の事を話しておる。しかし信心がないならば、やっぱりそうなんです。私共は、信心させて頂いてそれこそ、難はみかげと教祖が仰る。本当に難はみかげであると確信する事なんだ御道の信心は。そこからです。
 あの終戦になったおかげで、家族中のものはやられましたけれども、私だけは残りましたけれども、あの時は目の前が真っ黒となる様で御座いましたけれども、私一人が生き残らせて頂いて今日此の様なおかげを頂いて。言うならばもし私が終戦で敗戦でなかった。家族の者は無事であったというならば、今日の私の様なおかげを頂く事は出来なかったと思う。私は終戦のおかげで今日かくおかげを頂いて、亡くなった御霊達にもいうならば、お礼を言うておると云う様な事は、聞けないものだろうかと私は思うた。
 信心はそうです。私共も矢張り大東亜戦争によって一人の弟を亡くした。しかも八月十五日が終戦というのに、七月三十日というもう十五日間、生き延びておれば。無事に凱旋が出来ておるにもかかわらず、なかったでしょうけれども「神様、まぁ十五日ぐらい、どうにかなりませんでしたか」と言う様な、悲惨の事も御座いましたけれども。亡くなった者は、まぁその当時としては仕方がない。
 どこにどの様な御深慮があるやら分からんというて、そこから私共一家の信心が、今までとは違った信心に飛躍して行ったと云う事が、今日の合楽の土台をなしとるんです。してみると終戦のおかげである。敗戦のおかげであり、弟の戦死のおかげで私が発奮した。おかげで今日私自身が助かるだけではなくてです。只今大きな事を申します様ですけれども、九州の信心に一つの。光を添えさせて頂かなきゃならん。
 成程その方が言われる様に、九州の信心は素晴らしいけれども、後が続かんじゃないかと言われてみれば、成程そうですねと言うより他にないのだ。そこでどう言う所に、そういう続かなかった元があるかと言う事を、様々な角度から分らせて頂いて。まぁ今日分からせて頂くところはです。神の大恩を知っておかげを頂かれた。天地の大恩を知って天地の御恩徳を知って、その御恩徳に対し奉るところの、神恩報謝の信心生活が、御神徳ともなったのだけれども。
 そんならばおかげをおかげと、本当に知らなかったと云う事。知らなかったと云う事はないでしょうけれどもそれが。打ち出されていなかった。後々にそれが残されていなかったという事なんです。合楽の信心がです例えば。私が例えば亡くなったとしましてもです。私が言い残させて頂く事はそれもおかげぞ、これもおかげぞと云う事なんです。それを実感としておかげと感じれれるところまで、信心を進めていかなければならん。その進めていく過程においては、様々な所を通らせて頂くでしょうけれども。
 もう絶対のものをここにおいて。サンフランシスコの福田先生が。大学を出られて、御道の信心が分かられた。そこから御道の教師を志された。金光様にその事をお願いなさいましたら。三年後にアメリカ出発という事を頂かれた。ところが止むにやまれない福田先生の心はもう、じっとしておられない。自分が一日早くアメリカに移れば、アメリカの人が、一日早く助かることになるんだと云う様な信念を持って。
 それからもうそれこそあらゆる修行を、一年間なさったと言う事で御座います。もうそれこそもりもりするような、わりわりする様な信念をもって信心修行に取り組まれて、一年後に御本部参拝においでられました時に、金光様が何百体と沢山な御神米を下げられたというお話が御座います。どう云う事であろうかと言うた所が。アメリカ布教を許されたと言うのです。三年掛らなければならん所を、一生懸命の願いと迫力で、神様に打ち向こうて行かれた時にです。いわゆる三年間が一年間に縮んだと云う事です。
 もうそれこそ躍り上がらんばかりに喜ばれた事で御座いましょう。沢山な餞別やら持っておったお金の全部を、アメリカに着かれた時点に、もういわゆる自分のお世話になった教会に、全部それを返送されたち。異国の地にあってこれからどういう難儀が待ち受けておるやら分からない。それこそ金だけが頼りだと、普通のものなら言う所でしょうけれども。お金なんか頼りにはならん。もう神様が頼りなんだ。
 もし神様がかつれ死にしろと仰るなら、かつれ死にするんだと。雨露しのぐ所がなかったら、野宿でもするんだという、いうならば気迫が。今日アメリカ全土に、金光教のいうならば旗が。はためくほどしのおかげを受けられた元を作られたのが福田先生である。今そういう信心の、いうならば精神がおありになった。私はそう言う様なね。気迫のある明日の祈願祭は、そういう気迫で押して行こう。
 ただ我情の為では御座いません。我欲の為では御座いません。とにかく人が助かる事さえ出来ればという。もしこれが、商売人であるならばです。お客さんが喜んで下されば良いという精神を持ってです。 お客さんが。喜んで下されば良いのだという精神を持って、商売に取り組み。人が助かる事さえ出来れば良いという気持ちで、お取次ぎのお座に従わせて頂くと云う事になれば。
 商売人なら大繁盛のおかげになって来るでしょう。これが教会言うならば、取次ぎ者であるならばです。必ずその人のお広前には、赫々たるおヒレイが輝く事でしょう。自分というものが中心ではない。健康のおかげも。家庭円満なおかげも。子孫繁盛家繁盛のおかげも、商売大繁盛のおかげも。みんなお役に立ちたい立ちたいの、その一念がそこに迫力のある祈念となって現れて来る時に、本部の御造営の成就の事の為に。
 九州中に赫々たるヒレイを現し給えと祈られ願われた桂先生の、いわゆる祈念のご精神をです。明日の祈願祭には。私を始めそれに続いておられる皆さんも一緒に、そういう祈念を凝らさせて頂きたい。にはね明日参ってから、ちょっとどげなこつばお願いしようかじゃなくてからそれこそ。前夜のこのお祭りから、その心準備というか、云う様なものが出来て、明日の御大祭に臨みたいと思います。
   おかげを頂きました。